熱意を押し付ける勇気は若さが持つ特権の一つ。―プロマジシャンGO!さん【前編】

熱意を押し付ける勇気は若さが持つ特権の一つ。―プロマジシャンGO!さん【前編】

アジア最大のマジックコンテストで最高位を獲得、若くして東京・銀座にご自身のお店を構え、今も全国からのオファーも絶えない大人気マジシャンのGO!(ゴー)さん。9歳でマジックと出会い、大学在学中にはマジックを学びに単身渡米するなど、プロマジシャンへの道を順調に歩んできたように思えるGO!さんですが、その道のりは決して平坦ではありませんでした。じつは、サラリーマンとして働いた経験があったり、プロになった直後はまったく仕事の依頼がなかったり。でも、そんな苦労をまったく感じさせないGO!さんの生き様やその考え方は、「やりたいことがあるけれど、勇気が持てない、一歩を踏み出せない」と悩む大学生へのエールそのものでした。

マジシャンGO!さんの詳しいプロフィールはこちら。

〜22歳 幼少期からマジックの虜に。もっと上手くなりたくて、大学在学中に単身渡米。

—GO!さんのマジックとの出会いはいつですか?

9歳の頃に地元大阪で父親の知り合いの人に見せてもらったのが、マジックとの出会いです。何回も、何回も見せてもらったのに見破れなくて。「おじさん、すげえ!」って魅了され、どんどんハマっていきました。

10歳の誕生日には親にマジックの本を買ってもらい、友だちにもよく披露していましたね。みんなに「すごい!」って喜んでもらえるのがうれしくて。大阪生まれ、大阪育ちだから、場を盛り上げるのはもともと上手だったのかもしれません。それから趣味でマジックを続け、大学に入ってからは周囲の友だちだけでなく、近所の幼稚園などでも披露していました。

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—大学時代にはどのくらいの腕前だったのですか?

じつは、ずっと独学で学んできたのですが、当時すでにテレビに出ているマジシャンを見ても全然すごいと思わなくて。「俺の方がうまいのになあ」と本気で思っていました。でも、20歳の時に衝撃を受けたんです。あるテレビ番組で、アメリカのロサンゼルスに「マジックキャッスル」という世界トップレベルのマジシャンが集まる場所があると紹介されていて、そこで活躍するマジシャンの一人がマジックを披露するのを見た時、電流が走りました。「わー、この人には勝てない…!」と。

同時に「この人たちのもとでマジックを学びたい、マジックキャッスルに行きたい」という思いも芽生え、気づくとアメリカへの片道切符を買っていました。何のツテもなく、英語もまるでしゃべれないのに…。テレビを見た3日後にはマジックキャッスルの門の前に立ってたんです(笑)。
 
—3日後!すごい行動力ですね。

そうですよね(笑)。何のアポイントも取らず、門を叩いて「I want to learn magic!」と下手な英語で守衛さんに向かってお願いしたのですが、当然、追い返されました。でも、翌日も通って、また追い返されて。その次の日もあきらめずに門を叩きました。そうやって数日間通い続けていると、「日本から変な若いのが来てるぞ」と噂になり、「じゃあ、俺が教えてやるよ」と名乗りを上げるマジシャンが出てきたんです。後から、その人は世界チャンピオンを4回も獲得したことのあるマジシャンだったと分かったのですが(笑)。

—行動力と熱意が認められたんですね。

「日本からもマジックを学びたいという連絡は時々来るけど、いきなりやって来た人間はいない。君はすごいね」と驚かれました。でも、今同じことをやれと言われても出来ないかもしれないですね。相手に迷惑がかかると思っちゃうから。だって、その人からしたら、お金ももらえないのに、知り合いでもない日本人に教える義理なんてないじゃないですか。迷惑だっただろうなあ。

でも、あの時は「とにかく僕はここでマジックを学びたいんだ!」という熱意を押し付ける若さや勇気がありましたね。

—アメリカではどのようにマジックを学んでいったのですか?

最初に自分のマジックを披露したら、鼻で笑われました。「お前のマジックはまだ人に見せられるレベルじゃない。とにかくトップレベルの技を見ろ」と。その日から、世界トップレベルのマジックを見続けることに。たとえば、同じマジックを一週間見続けていると、月曜に見た時に何も分からなくても、金曜には少し何かが分かってくるようになるんです。だんだん目が肥えてきて「ああ、見るってこういうことなんや」と分かってくる。結局、半年ほど世界トップレベルのマジックを毎日毎日見続けたと思います。

そこから、少しずつ教えてもらうようになったんです。…といっても、教わるのはものすごくシンプルなマジックです。でも、彼は言うんですよね。「これを続けていれば、3年後には僕たちみたいになれるよ」と。つまり、マジックキャッスルで僕が見ていたようなすごいマジックが一発でできるわけがない。当たり前だけど、みんな、こういう小さなことから繰り返し、徐々にすごいことができるようになっていくんだということを教わったのです。

—なるほど。いい話ですね。その後、帰国したのはいつですか?

帰国したのは1年後。僕はなんでも一生懸命にやるタイプだったので単位には余裕があり、もともと休学することなく渡米して帰国する予定でした。意外かもしれませんが、大学生活も楽しかったですよ。場を盛り上げたり、誰かを喜ばすのが好きだったので、マジックもたくさん披露しましたね。そういう意味では、いろんな人の集まっている大学は貴重な場所と言えるかもしれません。マジックの練習の場にはうってつけでした。「この人は大人しいからどうやって驚かせようか」「騒がしいこいつらの目を釘づけにさせてみせよう」なんて、見せ方の工夫もたくさんできるようになりました。

—では、大学卒業後にプロのマジシャンになったのですか?

いいえ。いずれはマジシャンで食べていきたいと思っていましたが、親に心配をかけたくないという気持ちもあり、ひとまず就職活動をすることにしました。面接でマジックを披露することもあり、面接官にはウケました。「君は使える!」って、今思えば「何に使うねん」と思いますね(笑)。でも、やっぱりマジックのことは常に頭にあって、最終的にはプロのマジシャンになるにあたってのリサーチができるよう、東京で仕事ができる企業を選んでいました。で、実際、入社1年目から休日は東京のマジックショーを見て回って市場調査を行い、「あー、このレベルなら勝てるぞ」と思っていたよりも早く確信しました。
 
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—そして、プロに向けての行動をいよいよ開始したということですね。

やっぱり、会社で働いていても、仕事に本気になれなかったんです。アメリカにいた時のことが忘れられませんでした。あの時、自分が全力になれたのは、マジックだったからなんだなと。自分が本当にやりたいことはマジックなんだ。そんな気持ちがどんどん強くなって、入社して1年後、とうとう会社を辞めることにしました。「部長、僕はマジックで食べていきたいんです」と。

—会社の人や家族はどんな反応でしたか?

会社の人にはもちろん止められました。「このままいけば出世コースだったのに、マジシャンで上手くいかなかったらどうするんだ」と悔やまれましたが、最後には納得して送り出してくださいました。でも、一番背中を押してくれたのは、両親です。僕の家は裕福ではなかったので、やっと就職して手から離れたと思ったのに、1年で仕事を辞めるなんて、絶対に両親に怒られると思っていました。それが、仕事を辞めてプロマジシャンの道を目指すと伝えた時、父親にこう言われたんです。「人生、本当にやりたいことが見つからない人もいる。こんなに早く見つかってラッキーやったな。全力で応援するわ!!」と。本当にうれしかったですね。その分、早く両親を喜ばせられるようなマジシャンになりたいという思いも強まりました。きっと私が、毎日のように「マジックが好きだ」ということを語っていたのも、大きかったのかもしれませんね。一人黙々と突き進むよりは、日頃からやりたいこと、好きなことは口に出して、理解してもらえるようしておくと、一歩踏み出す時に味方になってくれる人が現れてくれると思います。
 
—不安な気持ちはなかったのですか?

まあ、自信はありましたからね。でも、それよりも自分のことくらい自分が一番認めてあげようと思っていました。僕が僕の最大の味方なんだから、まず応援しようって。だからネガティブな気持ちになることなく、プロとしてのスタートを切ることができました。
 
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念願のプロデビュー!でも、毎日ギリギリの日々が……。つづきは後編

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