みなさんは、自分の将来を考えるとどんな気持ちになりますか?キラキラしている人の姿を見ては、何だか自分だけ置いていかれているような気持ちになるなんてことも・・・。
「29歳までの道しるべ」では、現在いろいろな舞台で活躍する大人たちを取材し、彼らの20代のお話を聞きました。
いまだからこそ言える“少しでも人生を前に進めていくためのヒント”です。

正直に、まっすぐに、メッセージを届け続ける。ー文筆家、タレント乙武洋匡さん

大学時代に出版した「五体不満足」がベストセラーとなったことをきっかけに、一躍時の人となった乙武洋匡さん。彼は、本の著者、スポーツライター、教師、小説家など、今までにさまざまな経歴を持ちます。

一見ばらばらに思えるそれらの分野も、お話をうかがうと、ただまっすぐにメッセージを伝えようとして、ごくごく自然に辿り着いたものばかりでした。そして、乙武さんの辿ってきたユニークな経歴は、実にシンプルな一本の軸の上にあるものだったということに気づくのです。ご自分と向き合うことに妥協することなく、伝えたいことを届けるためには努力を惜しまない。その芯の強さが乙武さんからの話を通じて感じることが出来ました。

~20歳 弁護士への夢を失った高校時代とやりたいことを見つけるための大学進学

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ー将来の進路を本格的に意識するのは10代後半かなと思いますが、その頃はどういう方面に進もうと考えていらっしゃいましたか?

乙武さん:僕の高校時代の夢は弁護士だったのですが、その理由は、話すのが得意で記憶力もいいし、稼げそうでかっこいいからという上っ面なところでしか憧れを抱いていなかったんですね。でも、受験を前にして、弁護士というのは、法律で弱い立場の人を守るということに燃えていないと、目指してはいけないんだと気づいて、その夢は潰えてしまったんです。

当時は、やりたいことがない人は大学に行く資格がないと思っていたので、大学進学という目標も失ってしまって。そのまま卒業したのですが、友人に「やりたいことを見つけるために大学に行くのもいいんじゃない?」と言われて、確かにそうかもな、って思って。そこでやりたいことを見つけるには、いろいろな価値観を持った人が集まる場所の方がいいと思って、“人種のるつぼ”とも言われていた早稲田大学に進学したんです。この頃は、勉強したいことも目標もなかったですね。

ーどんなキャンパスライフを送っていたんですか?

乙武さん:結構活発にいろいろトライする学生ではあったと思います。大学1年の時にキャンパスの近所の商店会の方が町づくりの活動をされているのを知って、関わらせていただいたりとかね。

その町づくりは、もともと事業ごみの有料化をきっかけにリサイクル活動をスタートしたのですが、次第にゴミの他にも町が抱えている問題、例えば、震災対策やバリアフリー、地域教育やIT化みたいな、いろいろな問題を知るきっかけになりました。世代のちがう方たちと一緒に活動することは、同世代の学生とサークル活動をすることとはまた異なる魅力や刺激がありましたね。

~23歳 嫌いだった文章に挑むことができたのは、長年の違和感と伝えたいことがあったから

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ー大学在学中にベストセラーにもなった「五体不満足(講談社)」を出版されますよね。それはどんな経緯で?

乙武さん:町づくりに参加して数ヶ月経った頃に、そういう活動に参加している車椅子の学生がいるということで、新聞記事に取り上げていただいたんです。それを見たNHKの方がドキュメンタリーにまとめてくださって、それを見た講談社の方が「本を書いてみませんか?」と声をかけてくださったことがきっかけです。

でも、文章を書くのは大嫌いで。どのくらい嫌いかというと、早稲田大学受験の際に、文系学部はほとんど受けたのに、唯一、小論文のある文学部だけは受験しなかったというくらい(笑)。

だから、何度もお断りしていたんです。でも、その編集者の方がしつこくて(笑)。説得を重ねられているうちに、徐々に書いてみようかと気持ちが変化したんです。

それに、20年前の日本では今よりも「障害者=かわいそう」というレッテルが強く貼られていて、それに対して強い反発心を抱いていました。なにせ、私は楽しく充実した日々を送っていて、自分のことをかわいそうな人間だなんて思っていませんでしたから。だから私のような障害者もいるんだ、ということを知っていただきたいと思っていたんです。それで、そういう想いを伝えられるのなら、苦手な文章に挑戦することになったとしても、やらせていただこうと思ったんです。

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乙武さん:いざ文章を書くことになって心がけていたのは、リズムよく、わかりやすく、たまにはユーモアを挟みながら、平易な文章で書くということ。それは、大学受験の際に現代文の問題として読んでいた小難しい文章へのアンチテーゼでもあったかな。

伝えたいことがあるなら、なぜわかりやすく書かないんだろう、と思っていたので、自分が書く文章は、どんな人でも読みやすいものにしたかったんです。そう意識したことが功を奏したのか、「五体不満足」って少年院で読まれている本No.1らしいです。誰が調べたのかよくわかりませんけどね(笑)。確かに、交差点で信号待ちしていると、厳つい容姿のお兄さんに声かけられることがあるんですよ。昔、やんちゃしていて、人生で初めて最後まで読んだ本が「五体不満足」です、とかね。

「五体不満足」が出版されたのが、大学3年の10月末で、僕自身の目標を見つける前に、急に世の中に出てしまったという方が強かったですね。同級生が就職活動をする頃には、本が話題になって忙しくなってしまって、卒業後の進路が決まらないままに、どんどん卒業が近づいてしまったんです。

~27歳 真のバリアフリーを目指し飛び込んだ、障害と無縁と思われるスポーツの世界

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ー卒業を前に、就職についてはどんなふうに考えていましたか?

乙武さん:本を読んでくださった方から、「バリアフリーの旗頭として期待しています」とか「障害者福祉のために頑張ってください」という声をいただくようになって、それに対して少しの違和感を覚えはじめていました。自分は、社会福祉を勉強してきたわけではないし、バリアフリーを推奨したくて本を書いたわけではないんだけどな、って。

期待していただいていることに関してはありがたいなぁと思いつつも、同時に複雑な想いも抱えていたんです。また、名が知れた障害者が障害福祉に進むっていうことは、「ああいう身体の人は、そういう道に進むんだね」という固定概念をより強固なものにしてしまう可能性があるのではないかとも思ったんです。

であれば、障害者が、その分野に?! と驚かれるような場所で、一人前に活躍する方が、本当の意味でのバリアフリーにつながるのではないか、と考えて……。

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ーそれが、スポーツライターだったということですね。

乙武さん:はい、障害と関係がないと思われている分野で、且つ自分も興味があって情熱を燃やせる分野と考えた時に、それが、スポーツだったんです。今でこそ、認知されている「パラリンピック」も、20年前にはまだあまり知られていない状況でした。だから、わたしが「スポーツライター」になるということは、意外性を持って受け止められるはずですし、あいつはいい記事を書くなと思っていただければ、いい意味で期待を裏切ることができる気がしたんです。

また、いろいろなメディアに出させていただいて、メディアや世間の人の関心が熱しやすく冷めやすいことも知り、ブームに乗っかっているだけでは食べれなくなってしまうということも危惧していたんです。そんな矢先、文章を書く仕事もいただく中で、ライター業は人気商売とはどこかちがうぞ、と感じはじめていたんです。

ある種、実力次第というか、文章力を身につけることができれば、“あの人は今”的な状況になっても、食べていくことができるだろうと。

ー経験のない「スポーツライター」としてやっていくために、どんなことをされていたのでしょうか?

乙武さん:とにかく、いろいろな記事を読みました。そして、文章の巧さでは勝負できないと思ったんです。特に、金子達仁さんの文章には打ちのめされました。彼の文章は文体から色気が滲み出ているというか、到底かなわない。

そういう文章が書けないなら、自分は何を強みにしていったらいいだろう?と考えた時に、私は恐らく、日本で最もインタビューされる経験をしているライターなのではないか、と気づいたんです。聞かれる側の気持ちがわかるからこそ、聞きだせることがあるのではないかと。それで、インタビューに力を入れていきました。

でも、最初はベテランの方に厳しいことを言われたこともありましたよ。悔しいとは思いつつ、逆の立場だったら同じことを思うかもしれないとは思いましたね。一冊の本が売れただけの若造が、下積みもなく、スポーツ誌の最高峰である「Number」で連載まで持たせていただいたわけですから。その悔しさに立ち向かうためには、やはりいい記事を書いて見返すしかないと思いました。

だから、「五体不満足」の著者ではなく、あくまでスポーツライターとして認識していただけるように、時間さえあれば、スタジアムや練習場に足を運んで、お話をお聞きしていました。

通常、ライターのクレジット(名前の表記)って、だんだん大きくなることの方が嬉しいことだと思うんですけど、私の場合はその逆。どんどん小さくなっていくことを目指していました。それは「五体不満足の乙武」が書いているということを売りにするのではなく、文章を気に入って依頼してくれたということですから。

私は、みなさんの固定概念に囚われたくない、「五体不満足」の呪縛から逃れたいという想いから、ライターという道に辿り着いたので、仕事の手応えを感じれば感じるほど、ミッションは達成された感覚がありました。なので27~28歳の頃には、次第に次のステージを考えはじめていました。

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~33歳 外側から意見するのではなく、内側を経験してこそ伝えられることがある

ー次のステージとして気になりはじめていたものとは、どんなものだったのでしょうか?

乙武さん:2003年に、4歳の男の子が中学1年生の男子に連れ去られて、立体駐車場の屋上から突き落とされて殺されてしまう事件が起きたんです。そしてその翌年にも、小学校6年生の女の子が同級生をカッターナイフで斬り殺すという事件が起こりました。

そのような少年犯罪が相次いだ時に、「最近の子供達はどうしてしまったのか」と、子供たちだけに責任を帰すような報道が目についたんですね。でも、私はまた違った見方をしていて、彼らもまた苦しかったのではないかなと。もちろん、犯した罪は絶対に容認することができないものですけど、彼らも苦悩や孤独を感じていて、どこかでSOSも発していたんじゃないかと。

もし、まわりの大人たちがそのサインに気づけば、軌道修正してやることもできたかもしれない、そして、子供が育つところでの大人の果たすべき責任は大きいのかもしれないと思ったんです。

そう思った時に、私自身は、両親とか学校の先生とか周りの大人たちに非常に恵まれてきたと改めて思ったんですね。このような身体に生まれても、楽しく充実した人生を送れているのは、周りで見守ってくれていた大人たちのおかげなんだと。

だから、今度は自分の番というか、自分が受けてきた恩を“恩返し”ではなく“恩送り”として次の世代のために尽くしていく番かなと思いはじめました。1年以上そんなことを考えていて、29歳の時に、ライターの仕事を続けながら、教員免許を取得するために大学に入り直しました。

ー教師になろうと?

乙武さん:もともとは、教員になるために教員免許を取得しようと思ったわけではなかったんです。教育について何か意見したいと思った時に、教員免許を持っていないと、お客様が門の外で騒いでいる、くらいにしか捉えてもらえないのではないかと。だったら、教員免許を取得して、門の内側の人となってからものを言っていった方がいいなと思ったんですね。だから、はじめは通行手形を取得するような気持ちでした。

でも、教育実習で、実際の学校現場で子供たちと触れ合ったり、教員の裏側や奮闘する姿を目の当たりにして、実際に、責任のある立場で子供たちをお預かりしてみて、ようやく見えてくるものやはじめて感じることもあるだろうと思うようになってきて。教員免許を取得したら、一度は教壇に立ちたいと思うようになってきたんです。

どんなときも実現したいことを意識し、新たに一歩進むため、時に待つ

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ー乙武さんは、常にご自分の気持ちを見つめて、そこに素直に従っている印象があります。一見、成功している状況でも、全く違う分野に飛び込んでいらっしゃいますよね。それは、とても勇気のいることのように思うのですが、いかがですか?

乙武さん:日本は昔から、ひとつのことをやり続ける職人肌や玄人タイプの方が評価される文化がありますよね。最近は少しずつ薄らいできたとはいえ、転職にも抵抗を感じるという人もまだまだ多いのではないでしょうか。でも、私の場合は、職業を変えたり、活動の方向転換をすることに対しては、あまり抵抗も感じていないんです。

自分が発信したいことや実現したいことを常に考えていて、今自分が置かれている状況や社会的な状況も総合的に踏まえた上で、どういう立場でどんな活動に力を尽くしていくことが、やりたいことの実現にベストなのかを常に意識しながら動いています。

そういう意味では、ひとつのことを達成して、また次の目標を見つけた以上、変わらないことの方が自分にとってはしんどいこと。ですから、これまでの転身も、私にとっては、ごくごく自然なことだと思っています

ーご自身の想いに誠実ですよね。また、さまざまなものを見るときに、どちらか一方からではなく、さまざまな立場から物事をご覧になっている感じも、とても印象的でした。また、常にまっすぐに行動していらっしゃるように見える乙武さんですが、迷ったり悩んだりすることもあるのでしょうか?

乙武さん:もちろんありますよ。まさに今も、悩んだりジレンマを感じています。教員経験の後は、どんな境遇に置かれた人にも、同じだけの選択肢が与えられる社会というものを実現していきたいという想いで、メッセージを届けたり、活動していました。

でも、2年半前の自身の騒動によって、何をやっても説得力が生まれない状況になってしまって。それでも、他人からどう思われようと、そのために力を尽くしたいという気持ちに変化はないんですけど、今は明確な活動や動き方が見えていないのが正直なところです。人生ではじめて、目標は持っていても、その実現のために何をしたらいいかが見えていない状況ではあります。

でも、365日、ずっと晴れてるということはないですよね。昨日は台風でしたけど、今日はこうして太陽が顔を出している。長い人生の中では、天候みたいにいろいろな時期があるんじゃないかと。今は、悔しさや不甲斐なさをオブラートに包んで、そんなふうに自分に言い聞かせています。心からそう思えているわけではないんですけどね(笑)。 でも、悩みながらでも、前を向いていたいと思っています。

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