今から遡ること4年前。「キャリア甲子園に出たいのですが一人じゃダメですか?」と質問に来たまだあどけない女子高生を、「チームじゃないと出れないのです」と僕は突き返した。結局仲間は見つからず、彼女は出場を諦めた。
そして今。彼女は大学生になり、フォロワー数4,000人を誇るインスタグラマーになっていた。僕も彼女をフォローしていて、「すごく綺麗な写真だなあ」と思って以前から眺めていたのだ。
ひょんな事から僕は彼女に再会し、彼女の独特の世界観に心のどこかが引っかかり、僕は彼女に取材を申し込んだ。
そこで彼女の口から語られたのは、透明な世界観でくすぶる、圧倒的な自我。
自分と世界の境界線を彷徨う、女子大生の声を綴ろう。
(取材・執筆:羽田啓一郎)
*この記事の情報は2017年10月時点のものです
私の場所は、ここじゃない。小学生から感じていた違和感
私の高校は、進学校と言われていることもあって、学歴主義みたいなところがあって。
進学先を、「やりたいことが学べるからこの大学」というよりは、「学部はどこでもいいからブランド力がある大学」という選び方をしている人が多かったなと思います。
でも、せっかく大学4年間、高校とは違って専門的に好きなことを学べる環境に身を置くのだから、高校3年生の自分がもっと知りたいと思えること、興味のあることを学べる大学、っていう選び方をしたほうがいいんじゃないの? って。
大学生の就職活動でも同じことが言えると思っていて、自分が何に興味があるか、なにをやりたいか分からないっていう人、多いと思います。でも、だからこそとことん考えるべきじゃないかって。いま興味があることが見つからないからこそ、もっといろんな場に足を運んで、自分はなにをおもしろいと思うのか、そこから探してみると見つかるかもしれないし、自分を知るためにもまずは行動するべきだと思う。
とにかく、周りに「ブランド力のある大学」「ブランド力のある会社」に行けばいいという風潮があって、その先に求めているものが自分のなかでは見えていない、というのが私はイヤで。
これって、手段と目的の話だと思うんです。たしかに周りは「いい大学」という手段の先には「いい就職」という目的があったのかもしれないですけど、じゃあ、「いい就職」ってなに? って。何十年っていう長い時間働く可能性のある仕事に、安定やお金を求めるのって、それも勿論重要な要素ではあると思いますが、選ぶ要素がそこに偏っているのはなんか虚しいなと私は思うんです。
自分の純度の高め方

深町さんの写真のこだわりは光と色味。綺麗……。

やりたいことは簡単に見つかることじゃないかもしれない。それに、好きなこと・やりたいことだけを全員が大学で学べるわけじゃないし、全員が仕事にできるわけじゃない。私も、1番行きたかった大学には行けませんでした。
でも、自分がどんな人間でありたいのか、自分はどんなことが好きで、嫌いで、楽しいと思って、つまらないと思うのか、自分が潜在的に持っている欲求とは何なのか、自分なりの哲学は考えれば考えるほど固まるものだと思うし、そういうものがよく言われる「軸」だと思う。
人生が豊かになる、って表現はあまりに意味が大きすぎるかもしれないけれど、豊かな人生にするためには自分の軸は欠かせないものだと思うんです。
だから学校の外に出かけて、そういう話ができる人や自分の価値観と合う人、場所を探しに行ってたんだと思います。
いじめってほどじゃないですが……。ただ個人的に嫌味を言われたり、あとは授業中に「中国(人)は、ねえ……。」とか、はっきりとは言わないですけどお茶を濁しながら嫌悪感を示すような先生も中にはいて、悲しいことや居心地が悪いなって思うことはたくさんありました。
あとは当時、家庭の方にもすこし悩みがあって。人種のこともお家のこともあまり相談できることではなかったし、学校は毎日のようにふざけたりして楽しかったんですが、家にも学校にも、ずっとなんとなく拭えない孤独感を感じていました。
ずっと続く趣味との出会い。趣味が仕事につながる

ドローンを使った空撮も行なっている深町さん。
私、一番行きたかった大学には落ちてしまったんです。すごく学びたいことがあったので、結構ショックで(笑)。自暴自棄になっている部分もあって、入学して半年くらいは、いわゆる大学生っていう感じでした。アルバイトして、寝て、ショッピングして、みんなではしゃいで(笑)。
でもそのうち「なんでこんなことしてるんだろう……。」ってなって。同じタイミングで写真仲間が増えたこともあって、写真に少しずつハマっていきました。カメラ自体は高校生活最後の方から始めてたんですけど。
ある時、Instagramのミートアップイベントに行ってそこに参加している人たちの写真に衝撃を受けたんです。私はそれまで、写真って運動会とか旅行とか、何かの記録のときだけに撮るようなものだと思ってました。でもそこの人たちは写真で自分を表現していたんです。インスタが、自分の作品集というかポートフォリオみたいになってて。みんなそれぞれ個性的で、そこには個人の美学を感じられて、芸術だ、って思いました。同じカメラを使っても、こんなに違うんだ! って。
あと、前までは、絵とか、形に残るものが芸術だと思っていたんですけど、今は違うなと思います。行動とか、言葉とか、仕草も、私にとっては芸術だなって。だから写真だけじゃなくて小説書いたりとか、文章を紡ぐのも好きです。
そうですね、たまに。企業さんから依頼をいただいて、写真を撮って自分のインスタにあげて……、みたいな。
でも、ただ数を追うことに疲れちゃったんです。「フォロワーが減っちゃったらどうしよう」とか、そういうことを気にするようになってしまった。フォロワーが増えれば増えるほど、写真を編集するとき、投稿するときに、フォロワーに気に入られるような写真かどうかっていう判断基準が出てきてしまって。私にとってInstagramは自分が「いい」と思える写真を発信する場所であって、誰のためでもなく自分のための場であるはず。数を求めることが目的じゃないって。だから私は今はもうフォロワー数は気にせず、自分が好きなものを好きなように撮って、いいなって思ったものをいいなって思ったときにアップしています。
自分と世界の境界線

彼女のインスタにはこんな写真がたくさん掲載されている。是非フォローを!
でも、私たちは本来お金のために生きているわけじゃない。その先にあるもの、お金を使って成し遂げたいことのために生きていると思うんです。
お金とか有名大学とか大企業とか、そうした見た目の派手さに惹かれていく人、お金で幸せはなんでも買えると思っている人とは私、合わないですね。
個人として好きな人はたくさんいますが、コミュニティにいい意味でも悪い意味でも依存している感覚はないなあと思います。
でもそれよりも私が大事にしている考えは、まず自分自身を、自分がいいと思える自分にしていくこと、で。これは小さい頃からの考えで、死ぬときが本質的な自分だなって。
例えば私がAという会社に入ったとする。取引先への自己紹介の時に「Aの深町です」と言います。でもそれは私の一部であって本質的な私じゃないなぁって。本質的な自分は、お金を持っている自分でも、有名企業の自分でもなく、そういったラベルやブランドを取り払った自分だと思うんです。死んだ時、「深町が死んだ」であって、「Aの深町が死んだ」とはならないですよね。
走馬灯が走るっていう表現をするとき、会社のこととかお金のことじゃなくてほとんどは大切な人のことだったり、自分がやりたかったことだったり、後悔だったり、幸せな記憶って聞きます。私はまだ走馬灯走ったことないですけど(笑)。
それがコミュニティの人もいるだろうし、それってすごく素敵なことだと思っていて、でも、いまの私にとってはそれがコミュニティではない、ということです。
写真なんて特に衝動だなって。いい!って思ったものを撮影して、いいって思えるやり方で編集する。「いい」の定義ってなに? って聞かれたら、理屈で答えられるものじゃないし、わからないですが……。芸術は理屈じゃないですが、そういう衝動的なもの、好きです。
例えば高校の時の校則。髪の長さとか、コンビニでご飯を買って来ちゃダメとか。それって、何故そのルールでなければならないのか、他にもっといいルールはなかったのか、どいういう経緯でそうなったのか、理屈で説明してくれないと納得できない。
でも先生にきくと、「校則だから」の一点張り。
「なんでそんなこと考えるの?」ってよく言われますが、私からすると逆で……。どうしてみんなそういうことを考えないのか、わからないんです。考えていても、言わないですよね。そのほうが、人間関係がうまくいくから、と仰る方もいますけれど、自分の中で疑問がたまって気持ち悪くないのかなぁって。私はなんかもやもやしちゃって。「理不尽だけど仕方ない」って思えれば、もっとうまく生きられるんだろうなあとは思うんですが、深層では本気でそう思ってないからこうなっているんですよね。
自分で言うのもなんですが、扱いづらい人すぎますよね(笑)。
取材後記
十代の季節を通じて自我が芽生えてきて、自分を取り巻く世界と自分がどうにも相容れない事って誰でもあると思う。いつも周囲にいらいらしていて、同時に自分自身へのコンプレックスにも過敏になっていて。
でも20代になり、自分と世界の境界線を曖昧にする方法を人は覚えていく。理不尽なことがあってもグッとこらえて耐え忍ぶ処世術を身につけていく。それがいいことなのか、大人になるということなのかどうか、それは人によるだろう。
彼女の場合は自分自身の心象風景をカメラで収める、という武器を持っている。自分が「いい!」と思ったものを目に見える形で残すことが出来るというのは、結構素晴らしいことなのかもしれない。僕もカメラをちゃんとやってみようかな、と思えたインタビューだった。
(取材/執筆:羽田啓一郎)
MY FUTURE CAMPUS責任者。企業の新卒採用の担当営業を経験後、キャリア教育事業の立ち上げを担当。大学の嘱託講師や政府の政策研究委員、新聞の連載コラムなども経験あり。ISOとF値とシャッタースピードの関係性が未だによく分からない。